長浜の謎
長浜は子供の頃の私にとって謎の多い浜辺でした。延岡の南にある日向の浜辺と違ってサーフィンができません。潮干狩りもできません。遊泳も禁止されていました。海水浴といえば門川か土々呂であり、年に一回程度須美江や浦城に行くのが楽しみでありました。宮崎県は日向灘に面していて、南北100km以上にわたって直線状の浜辺が淡々と続いているように見えますが、場所によってずいぶん趣が違っています。延岡の北部も南部も海水浴場があるのに、10万都市から一番近い浜辺が遊泳禁止というのはなぜなんでしょう?遠浅ではなく、急に深くなり危ないというのがその説明であったように記憶しています。本当にそうなのでしょうか?海難事故が多発していたのでしょうか・・・。
昔から長浜は遊泳禁止だったと私は思っていました。ところが最近手に入れた地図には、長浜には方財島から緑丘にかけて3箇所くらいに渡って海水浴場として使われていた記録が残っておりました。びっくりしました。みんなで泳げば怖くないのでょうか?昔の延岡市民は勇猛果敢に長浜で泳いでいたものと想像されます。昔は泳いでいたのですよ、長浜で!
この地図には発行年がありません。緑ヶ丘に競馬場が記述されていることから、おそらく戦前のものと推察されます。
ところで同じ浜でも長浜と、美々津あたりの小倉ヶ浜を比べると、似て非なるものだということがわかります。小倉ヶ浜ではサーフィンができます。潮干狩り(というより「はまぐり」を狩りに行っていた覚えがあります)ができます。小倉ヶ浜には、よそよそしさを余り感じません。この違いについて皆様は考えたことがありますか?存外、謎が大きいとは思いませんか?
この長浜と小倉ヶ浜の違いを解説してくれた方がいます。16年前くらいのブログの記事(ひむかのハマグリ)に残されています。その方のブログを下に引用しますが、残念なことにその方が亡くなっていることを今年になって(2024年)知りました。死亡に伴いブログが無くなるのはもったいないので、そのうち引用元を付記する形で、大胆に引用させていただこうと思います。謎を解明できたかというと逆に深まっていくのが残念です。内容のおおよそはこうです
- 共に長い浜辺で7kmと4km
- 共に日向灘に直接面し、北部はリアス式海岸
- 浜辺の傾斜角は長浜のほうが急峻
- 沖合の海底構造は長浜のほうがやや複雑
- 共に水深50mの到達点は沖合5kmのところ
- 長浜は大きな河川(五ヶ瀬、祝子、北川)から大量の土砂が流れ込む三角州の外縁であるが、小倉ヶ浜には小河川しか流入しないというのが、両者の最大の違いである。
- 1,2と5を見ると2つの浜辺は同じ状況になっても良さそうなのである。しかも6をみると長浜が土砂堆積については有利な条件なのに、実際は逆に長浜の浜辺が厳しい。更に最近では長浜の浜辺の侵食が問題になっているそうである(さらなるやせ細り)
- 土砂の流入量の激減(?)というのが、長浜の変化に影響を及ぼしているかもしれないという考えを述べている。この100年で延岡の河川には防災ダムが多く敷設されてきたが、この影響を考える必要はあるとの示唆。
- 歴史的な長浜の浜辺の変化について調べると謎の一部は解明できるかかもしれない。
そこで海水浴場の存在です。戦前に長浜に海水浴場があったという事実は、往時の長浜の浜辺が、現在よりは穏やかな遠浅だった可能性を想像させます。
まだまだ知りたいことは山のようにありますが、長浜が今後も変化を続けるなら、私は浜が穏やかに、豊かになっていって欲しいと思います。将来再び「海水浴場」が戻って来る日を夢見たいものです。
