旭化成最初の工場
2024年09月16日
最初期から少し時間が経過した写真です。事務所などが完備されたようです。奥の麦畑の真ん中に開通したばかりの日豊線の線路が見えますね。次の工場はベンベルグ工場ですがアンモニア工場の向こう、恒富地区に建設が始まるのは6年後のこと。この間旭化成はもっぱら発電所建設に力を入れます。延岡地区はまだまだ、のどかな佇まいです。中川原など、まだまだ湿地帯(?)なのでしょうね。
最初期から少し時間が経過した写真です。事務所などが完備されたようです。奥の麦畑の真ん中に開通したばかりの日豊線の線路が見えますね。次の工場はベンベルグ工場ですがアンモニア工場の向こう、恒富地区に建設が始まるのは6年後のこと。この間旭化成はもっぱら発電所建設に力を入れます。延岡地区はまだまだ、のどかな佇まいです。中川原など、まだまだ湿地帯(?)なのでしょうね。
祝子川は子供の頃よく泳ぎに行っていました。北川は遠かったし、五ヶ瀬・大瀬は川蟹やエビを取りに行ってはいたけど泳ぎに行くということはなかったです。祝子川で泳いでいたのは小山橋の上流700mくらい行ったところにある堰堤(上堰堤:かみえんてい)という小さなダムから上流に向かって、更に800mくらい行ったところまででした。ここは祝子川が大きくカーブしているところで、左岸は崖と深淵があり絶好の飛込みスポットでしたし、対岸の右岸は広い砂洲がせり出していて穏やかな泳ぎ場でした。
中川原とその周辺には昭和初期から急激に人口が増えていきました(レーヨン工場が建設され社宅や職員住宅が急増した)。しかしながらこの地区には教育施設がありませんでした。小学生は明治初期には岡富小学校、明治中期からは延岡小学校と岡富小学校に通学していたそうです(延岡市史 731頁)。