
康芝園
自由業・妄想高齢者
私の延岡の最初の記憶は4歳のころです。妹が生まれた日に、城山動物園に連れて行かれた光景を思い出します。同じ頃近くの小学校が燃えましたが、その光景は恐ろしく忘れられません。焼け残った木造校舎の小学校に入学しましたが、毎日遅くまで遊び回っていた覚えしかありません。楽しい思い出しか残らないのは、妄想高齢者ゆえでしょう。夏は祝子川の堰堤付近で泳いだり、飛び込んだりしました。足の届かないほど深い、レーヨン工場のプールにも、稀に行きましたが怖かった。普段は土々呂や門川でしたが、高学年になると須美江や浦城の海水浴場に連れて行ってもらいました。めったに行ったことはなかったけど、秋の鮎やなも強く印象に残っています。
私の記憶はこのあたりまでです。これ以降私は延岡を離れたので、記憶は途絶えます。しかし子供の頃の記憶は強烈に焼き付いています。本当に鮮明に覚えていますし、思い出せます。妄想に彩られながら・・・・。
追記:
追記を2024年9月に書いています。私妄想老人が本当に書きたいことは昭和30年代の延岡です。しかし悲しいかなこの時代の情報をネットで調べるのはかなり困難です。この時代に生きた人たちが持っている写真や古い資料は宝物ですが、しばらく経つと天国、人によっては地獄に行くので、その際失われてしまうのでしょう。
どんなことが知りたいのかは、ホームページを見ていただければ想像できると思いますが、たとえば・・・として5つ挙げてみます。(この5つは日ごとに入れ替わりますね、たまたま本日の妄想です。)
(1)昭和30年代の供給所がどんなところか紹介したい(浴場と散髪所も併せて:従業員の話を知りたい)
(2)昭和30年代の夜市がどんなものであったのか紹介したい
(3)昭和30年代に延岡で生活していた人の24時間を紹介したい
(4)昭和30年代に延岡で生活していた人の余暇・趣味を紹介(昼休み何をしていたか?どこで釣りをしていたか?
映画は年何回くらい見にいったのか?どこで呑んでいたのか?どこでうさを晴らしていたのか?)
(5)旭ゼミナールってなんだったのか?旭学院塾ってなんだったのか? 調べてみたいが資料がないんですね。