旭社宅の建築
2025.3.14
レーヨン工場は昭和7年から建設開始となり、昭和8年に完成後操業を始めます。妄想老人が子ども時代を過ごした岡富中川原の旭社宅についてはその建設時期や初期の概要情報を得ることが困難でした。最近朝鮮の咸興・興南地区のことを調べているうちに、水俣ーチッソ関連の情報を知り、「チッソ」の社史や熊本の大学の先生の論文を知ることとなり、その中にとても面白い文献を見つけました。まったく世の中にはいろんなことを研究している人がいるのだなあと感心します。
熊本県立大学教授の辻原万規彦さんという方です。住居と環境がテーマであり対象が戦前の台湾、朝鮮、南方諸島などの住居・社宅の研究なのですが、嬉しいことにこの中に創立当初の延岡の社宅群の対象研究があったのです。(最後に論文の一部を引用します)
私が知りたかったことの多くが、ここには載っています。まず旭社宅は昭和7年10月に建築が開始されたとのこと。レーヨン工場操業前ということになります。供給所はなんと昭和9年には併設されているのです。武道場・弓道場があるかと思えば、南社宅のど真ん中に「テニスコート」があってびっくりしました。昔の空撮写真を見てここに「空き地」があることには気がついてはいたのですが、まさかこれがテニスコートだったとはねえ。武道場があったのは、のちに麗陽幼稚園ができた場所ですね。社宅に1〜4号があるのも初めて知りました。
辻原先生は下の地図を作るためにチッソ所蔵の地図を閲覧(おそらく東京の野口研究所所蔵)、国土地理院の空撮写真(小生がよく引用する写真です)、『レーヨン部史』(この本は国会図書館にはありません。以前より読みたいと思っていましたが難しい資料の一つです。延岡市図書館にはありますので、そのうち一度はと思っています)や日本窒素肥料株式会社の昭和初期の「稟議書」(これは大阪のセンコーの倉庫に眠っているらしい)を渡り歩き、写真を撮りまとめ上げました。延岡市民図書館に出向き「延岡新聞」の昭和の初めのコレクションを全文閲覧したとも書いてありました。私も結構マニアックな資料にたどり着いてはいたのですが、残念ながらチッソ関係の資料はアクセスが難しいです。
2016年のこの論文、通常のグーグル検索や国立国会図書館検索では引っかかって来ませんでした。小生は10年前に出会いたかったと切に思いました。


