歴史の彼方の「宇和田小学校」について
中川原とその周辺には昭和初期から急激に人口が増えていきました(レーヨン工場が建設され社宅や職員住宅が急増した)。しかしながらこの地区には教育施設がありませんでした。小学生は明治初期には岡富小学校、明治中期からは延岡小学校と岡富小学校に通学していたそうです(延岡市史 731頁)。
岡富地区には岡富小学校の他に、地理的重要性に鑑みて「方財小学校」と「宇和田小学校」が明治のはじめからあったと書かれています。
学制改革で中川原に初めて小学校ができるのは昭和23年であり、このとき岡富小学校の生徒の一部が中川原旭小学校に移されとあります。この開校時のエピソードは旭小学校50周年誌に掲載されています。
さて方財小学校はわかるとして、宇和田小学校って知ってましたか?調べてもネットにはなかなか情報が残っていませんが、「延岡市史」には記録がありました。
宇和田小学校は実に歴史のある小学校であり、明治18年(1885年)岡富小学校の分校として設立され、のちに独立し昭和23年12月3日に廃校となったとあります(黒岩小学校に統合されたとの記録もあります)。63年の歴史があることになります。
どこにあったかというと宇和田町であり、現在の「立花食品株式会社」の近くです。祝子川でいうと佐藤焼酎製造所の近くにある堰堤(上々堰堤でしたっけ?)のすぐそばです。この場所に関する情報は縣人さんの2022年の動画に負うところが大です。感謝します。


祝子川堰堤付近。宇和田の立花食品株式会社の近くに宇和田小学校はあった。
さて、次の資料は昭和5年に延岡(岡富)に存在した小学校の一覧です(延岡市史 731頁)。すでに黒岩小学校や宇和田小学校がリストに載っています。昭和20年台になるとこれに港小学校と旭小学校が加わるのです。老舗であった黒岩小学校や宇和田小学校に、新たに港小学校と旭小学校が加わる構図ですね。旭小学校は新参ものなんです。


旭小学校の場所からそれぞれの小学校への距離を測ってみました。岡富小学校までが1km、東海小学校までが1.6kmであり、宇和田小学校までが4.3kmですから、中川原地域の小学生が通うとして岡富小学校が、最も近かったということになります。ちなみに宇和田小学校から黒岩小学校まで2.3kmありますので、このあたりに住んでいた小学生にとって通学は本当に大変だったのだと思います。
実は私が小学生だった時代に宇和田から通っていた同級生がいました。当時は休んだ児童には昼の給食のパンを自宅まで届けるというしきたりがあり、その日当番だった私は放課後に彼女の自宅まで延々と歩き続け、届けたことを思い出しました。毎日この道を往復するのは大変だろうなと思った自分でした。