「ひかり号」がいなくなった頃・・
2026年3月29日
昭和30年代に日豊線で小倉や福岡に行くとき、延岡市民が延岡駅から乗っていた汽車に「ひかり」がありました。妄想老人は年に1〜2回この汽車に乗っていたので、とても馴染みのある名前でした。このひかり号は「特急」でも「急行」でも「普通」でもない、ある特殊な呼ばれ方をしていました。それが「準急」です。調べると「ひかり」が日豊線に投入されたときは「急行」だったのですが、ほどなく「準急」に格下げされてしまったそうです。主に料金の問題であり、国鉄は「より安い料金で急行格の汽車を利用してほしい」との思惑だったとのことでした(料金が高くてあまり利用されなかった・・ということ)
「ひかり」という名の汽車が日豊線を走っていたことを知らない、忘れてしまった方が多そうなので、記憶を復活させておきたいと思います。
実は「ひかり」には3つの時代があります。
① 戦前の朝鮮・満州を走っていた「超優良列車」です。釜山ー新京(現在の長春:かつての満州国の首都)間を駆け抜けていた列車であり冷房付きの食堂車や最後尾に優美な展望車がついていました。このころ急行は二本ありこれが「ひかり」「のぞみ」という名前であったというのが面白い。当時から国内の線路は狭軌でしたが、朝鮮・満州は広軌ですので車両も大型で大平原を爆走していたようです。満鉄の超特急「あじあ」号とともに乗ってみたかった列車のひとつです。
② 戦後復興期に再登場した急行「ひかり」です。当初は福岡ー大分ー熊本(豊肥線)を走っていましたが、その後大分ー延岡ー西鹿児島便が増便されました。昭和31年に登場し昭和39年に消えてしまいます。
③ 昭和39年 オリンピックの年に開業した東海道新幹線の名前として「ひかり」「こだま」が登場します。

ほぼ8時間かかって下関から渡ってきた「関釜連絡船」(ここでは高麗丸)から釜山の桟橋で待っている急行「ひかり」号に乗り換えます(この絵はAI作画です!)。戦前のことでありパスポートはもちろん要りませんし、通貨も円が使えますが、下関を出港後しばらくして船内で「通関」はありました。

戦前の路線図と時刻表です。②番紫の路線が「ひかり」号です。

「時刻表置き場」さんのHPのから引用しています。
戦前延岡から朝鮮窒素の興南に向かう人達は、釜山を19時に発車した「ひかり」で北上し、深夜2時30分に京城(ソウル)に到着します。京城からローカル線に乗り換えほぼ12時間で咸興に到着。その次の駅が興南となります。まるまる二日がかりでしょうね。
次は日豊線の「ひかり」の時刻表です。

1958年:準急に降格されたばかりの「ひかり」まだ延岡には来ていない

1961年:小倉方面には昼の12時34分発:4時間半で小倉着です。

当時の「ひかり」号に使われたキハ58の車両。
この妄想老人にとっては懐かしくてしょうがない「ひかり」ですが、オリンピックの年に行われた新幹線の名前募集(全国公募)で見事第一位を獲得してしまうのです。妄想老人は悔しくて、悔しくてならなかった。本当にショックでした。そして昭和39年10月1日に名前は奪われてしまいました。
この栄光の名前は今も新幹線に使われていますが、かつて昭和30年台にひっそりと日豊本線を走っていた「栄光の名前」であることをぜひ皆様には覚えておいてほしいと思います。