昭和40年の延岡駅風景

2026年2月25日

昭和38年頃の延岡駅切符売り場です。今日は親子連れで、富高に行くことにします。この年の5月に富高駅は日向市駅に変わりますので、富高駅としては最後の頃ということになります。料金は延岡から富高で60円(大人)でした。

改札口では切符を切ってもらいます。

延岡駅のホームで待つ親子。そばにはポイントを切り替える機械が置いてありました。駅員が全力で切り替えをしていたのを覚えています。洗面所もありました。この頃はまだ蒸気機関車が引っ張る旅客列車が普通でした。宗太郎峠を越えてやってくる汽車は、延岡で停車時間が長いので、お客はホームにおりて顔を洗っていたそうです。石炭煤煙で顔がすすけます。

駅弁です。延岡といえば鮎ずしでしょう。忘れてはいけないのがお茶でした。この頃は陶器(というか土瓶)に入ったお茶を売っていました。蓋が小さな茶碗がわりになりました。

古い木造客車に乗り込みます。

蒸気機関車の旅。当時クーラーはないので窓を開けたいが、開けると「すす」が大変でした。鹿児島方向は平野が多く良いのですが、大分方向はトンネルが多く、トンネルに入る前に窓を閉め忘れるとたいへんなことになります。

富高駅に着きました。煤(すす)で真っ黒な乗客(ちょっと作画やりすぎですね)

さて国鉄延岡駅と昭和40年といえば妄想老人的には次の三つが必須アイテムです。

1)転轍機(てんてつき);これは駅長室の近くにあったような気がします。大事な機械の割にはむき出しで、誰でも触れそうな場所にありました。子供だった妄想老人は一度は「がちゃん」とポイントを変えるイタズラを夢見ていましたが、果たせずでした。

2)洗面所:水色のタイル張りの洗面所はなぜか懐かしい。顔を洗っている人のことを覚えているわけではありませんが、なぜか懐かしい気持ちになります。

3)痰壺:この漢字を見た瞬間トラウマに襲われた人がいたらすいません。

「たんつぼ」です。この時代くらいまでは世の中にあったんです。私は駅以外でこれを見る機会はあまりなかったが、駅のホームでは嫌でも目につく存在でした。詳しい事は書きませんが、当時の「結核予防法」で駅をはじめとする公共機関には設置が義務付けられていた・・・ということを本日初めて知りました。

4)(次点):ループ・タブレット:日豊線のような単線では衝突事故の予防は最も重要なことです、一閉鎖区間に複数の列車を入れないことが最も重視されていたとのことです。このために駅を出発するときに駅長から運転手に渡されるのがループ・タブレットです。次の区間でこれは次の駅長に戻されます。これ有名なんですけど、妄想老人はあまり記憶がない。当時はそんなこと知らなかったんだと思います、それで妄想を作画させました。