昭和40年の街角風景(8)

2026年3月25日

卵は物価の優等生と言われますが、これは昭和40年ころからのことだと思います。それ以前の卵は高級品であり、なかなか食べられるものではなかったと大正生まれの私の両親は話しておりました。病気をしたときだけ食べることができた・・とのことでした。ところで私の記憶は昭和40年前後からですから、このころ卵はすでに当たり前の食材だったように思います。

当時卵をどのように皆さんは手に入れていたのか?上の作画にある通り、卵を売る店というのがあり、ボール紙の厚紙素地のパック詰めで販売することも、そろそろ広がり始めていたらしいのですが、一般には「もみ殻」の中に埋もれた卵を探し集めて購入(大抵は新聞紙に包んで・・・)というものだったようです。

ところで妄想老人にとって卵というのは、背中に背負子(しょいこ)を抱えた行商のおばちゃんが定期的に売りにくるものでした。この背負子というのが仰々しく重たそうなしろものであり、その中にはもみ殻がたっぷりと詰まっており、割れないように卵が収められているわけです。ブリキの蓋をあけて、手を突っ込んで卵を大事そうに一個一個取り出すのです。こうして母親が月に何回か、行商の卵を購入していたわけです。

このブリキ缶を描写したくて、ネットや書物を探すのですが、不思議なくらい記憶にある背負子が出てきません。似たような物件もまったく見つけきれない。それでAIに作画してもらうのですが、イメージ通りなかなかできません。ようやく似たような代物を作画しましたので、下記に掲載します。(蓋の部分がまったく大げさで、話にならない。AI作画の限界。)

これはブリキ板を一枚外して、中身がどうなっているかを示したものです。AIはこんな作画は得意なんです。もみ殻のなかに適度に分散された卵が埋まっています。かなりの衝撃でも卵は割れません。荒縄で編んだ背負子紐を両肩に抱えておばちゃんはやってきます。

このおばちゃんとはかなり長くの付き合いがあったようで、実は遠く「土々呂」から汽車で延岡にやってきていたのだそうです。農家の片隅で養鶏を営んでいたのです。その土々呂に海水浴に行ったときに、おばちゃんの農家におじゃました記憶がうっすらあります。

作画のように巨大なブリキの背負子を抱えて行商の旅にでていたのですね。