硫安をいくらで作って、いくらで売るか?
2026.5.1
野口遵は延岡進出以前から、アンモニアを作ることにこだわっていました。彼が工業的なアンモニア産生を最初に成功させたのは、鹿児島ー熊本の「日本窒素株式会社」創業のころになります。鹿児島の曽木に発電所を作り、カーバイドを利用してあるいは石灰法を使ってアンモニアを作っていました。
アンモニア(硫安)を作れば売れる。硫安を安く大規模に作れば、農産物の栽培を飛躍的に増大することができる。農業革命を起こすことができる。・・・これが野口の動機であり野望でした。大正10年過ぎにはイタリアでカザレー法に出会い、当時の100万円という特許料をなかば独断で払込み、高温・高圧下に窒素と水素を一挙に合成してしまう工場を延岡に持ち込むわけです。
この延岡工場のシステムを経営的に見てみたいと思います。「もうかりまっか」のからくりを見たい。
まず工業製品ですから材料が必要です。
アンモニア合成に必要なものは水素と窒素です。水素は五ヶ瀬・大瀬川の水から電気分解で作ります。これが一番安い。ほぼ無料です(電気代はいりますよ!)。一方窒素は空気中に80%ありますので、これを分離すれば良い。圧縮・冷却すれば沸点の違いで分離できます。これもほとんど無料。
アンモニアはそれだけでは売れないので、肥料にします。肥料にするのには硫酸や硝酸と化合する方法がありますが、野口はまず硫酸を採用しました。これが硫酸アンモニウム、通称「硫安」と呼ばれます。(後には硝安も製品化しています)
この硫酸は外部から購入すると高くつくので延岡で作ります。当時の作成法は硫酸鉄(黄鉄鉱)を購入し、硫酸工場で酸素(これは水を電気分解する過程の副産物)と混ぜて燃やすことで得られます。正確にいうと、燃やしたSO3を水に溶かして、更に濃度を上げていく事で作っていました。黄鉄鉱は岡山や槙峰の鉱山から購入。
忘れてはいけないのが電気ですが、これもすでに野口はダムと発電所を作っていましたので、製造原価としての電力はきわめて安価でした。
工場建設には資本がいりました。また人件費もかかりました。しかしここではそれを無視して「販売価格」ー「原価」を計算してみたいと思います。ここからはAIをフル活動させて調査します。

電解工場はアンモニア工場の入口にあたります。大瀬川あるいは工場地下水を汲み上げ、豊富な電力で電気分解し水素と酸素にする。

工場周辺の空気を取り込み、圧縮後に冷却し酸素と窒素に分離します。窒素はアンモニア合成へ移行。一日に必要な空気は57トンです。膨大な体積で、イメージが困難です。

1日分の硫酸を作るのに120トンの黄鉄鉱が必要です。10トン無蓋車12両で工場に搬入されます。当時の価格で1,560円でした。槙峰や岡山の鉱山から購入します。

硫酸合成過程です。購入した黄鉄鉱を燃やすだけです。(一度着火すると、いつまでも燃え続けるそうです、黄鉄鉱)。消えないように黄鉄鉱を搬入し続けます。一日あたり120トンの黄鉄鉱をもとに、150トンの硫酸を作ります。

窒素と水素を混合し750気圧に圧縮。その後500度の反応塔で合成します。一日あたり52トンのアンモニアを作ります。先程作った150トンの硫酸と混和することで、最終的に硫安が200トンできるという工程です。

1日ごとに生産され袋詰めされた200トンの硫安は15トン積の国鉄の有蓋貨物車(ワム)13〜14両によって工場から搬出されていきます。
すなわち一日ごとに120トンの黄鉄鉱、57トンの空気、(冷却様の分を含めると)100トンを超える水が工場に運び込まれ、工場のなかで作り変えられ、200トンの硫安となって市場に運び出されることになります。
さて、ここからは経済学です。これまでに説明したものの中で、本当に購入に値するものは黄鉄鉱だけでしょう。あとは「ただ」のようなものです。
当時延岡では硫安を一日にどれくらい作っていたか?最盛期の昭和10年ころでだいたい200トンくらい。
当時の実勢販売価格で硫安1トンは93円。200トン生産だと一日の売上は18,600円くらいです。
必要な原価で最も高いのが電力(53万kwh)ですが、自社製ですので破格に安価で5,300円。黄鉄鉱(120トン)は1,560円。それ以外の原材料費はなし。したがって粗利(限界利益))は11,740円となります。ここから人件費等を更に引いて通常の粗利率を出すと30~35%となります。まあめちゃくちゃ儲かるわけです。延岡工場をモデルにして更にバージョンアップした興南工場の粗利率はなんと50%に届くとの計算です。日窒のこのころの資本蓄積率は凄まじかったと思われます。借金返済も相当あったはずですが、それでも破格の儲けを出していたんでしょう。