昭和34年の宮交バス
2026年5月14日
昭和57年のバス路線でお出ししたクイズの解答を地図付きで作ってみました。
- 岩鼻
これは高千穂通りにあり、新小路(現在では神話街道)との合流点に置かれた停留所でした。かなり長期間、
少なくとも、昭和34年〜59年までこの名前でした。現在ではしいていえば「黒木病院前」になるのでしょう。
地図は最後の方にあります。 - 三軒家
妄想老人が少年のころの中川原商店街(ガード南)の総称。昭和44年には「中川原一丁目」になりました。 - 東高畑
現在の幸町、栄町、山下町、昭和町は「高畑」という地名でした。老人の持つ昭和12年地図にはそのように
記述されている。バス停では「東高畑」の名前が昭和34年まであり、36年には「幸町」に変更されています。 - 船頭町・十貫港
昭和34年ころまでは「十貫線」とでもいう路線があり、これは瀬之口ー昭和町ー川原崎ー十貫港と連絡。
このうち、昭和町のバス停が昭和36年の地図で「船頭町」と記録されています。この地図では「十貫港」
は「十貫」と表記。昭和41年の地図では「十貫線」は廃止されています。

昭和34年の地図です。赤文字でわかりにくいですが、三軒家、東高畑、十貫港が確認できます。
この地図は、国立国会図書館デジタルライブラリーにあります。日本都市地図全集. 第2集 人文社 (1959年)といいます。
ちなみにこの極めて立派な装丁の地図集は、1957年から65年にかけて人文社から4巻出版されていますが、本当にきれいな出来あがりです。札幌から鹿児島まで一冊につき50都市くらいが収められていますが、皆様の最寄りの街の昭和34年の地図を見ることができるというのは、なんとも贅沢なことです。この第二集に延岡市が収められています。
こんな本に出会うと、この時代の日本は豊かだったんだなあと思うのです。
ところで昭和34年とはどんな年だったのか?実感がわかない方がほとんどでしょう。
テレビ番組でいうと「スター千一夜」が始まった年。「皇太子御成婚のパレード」がテレビ中継された。長嶋が天覧試合でホームランを打った中継があった年です。
どれも有名ですが、残念ながら延岡にはまだテレビ電波が届いていなかった。「昭和35年、1960年に宮崎県でテレビ放送が始まり、翌昭和36年、1961年4月1日に延岡でも本格的に受信可能なテレビ時代に入った」と記録にあります。
したがって延岡で見た覚えがある人はその後の録画か、あるいは妄想です(笑)。旭化成がスポンサーとして有名だった「スター千一夜」ですが、始まったころは、その放映を延岡では見ることが出来なかったなんて残念だし、驚きです。
延岡でテレビ放映が始まった昭和36年とはどんな年だったのか?テレビ番組でいうと「シャボン玉ホリデー」「夢で逢いましょう」が始まった年だそうです。「上を向いて歩こう」が出た年。妄想老人は実感がわきません、さすがにこのあたり。
さて次の話題に移しましょう。
②号線が開通した時期の話題です。これを記録で確かめるのが意外に難しい。手持ちの地図による私のつたない推定ですが、開通は昭和36年以降〜41年の間と思われます。ここでは昭和36年に記載された②号線の予定図を掲示しましょう。

破線で予定図が描かれています。中央通りのロータリーから折曲がり、(将来の停留所である)仲町ー市役所前ー動物園入口前ー大瀬川北詰を通り、三ツ瀬町を一直線に抜け、恒富郵便局の前を通り、愛宕町で旧10号線と合流し南延岡に向かう路線です。人によっては「自分の知っている②号線と違う!」と思われることでしょう。この路線も短期間でいろいろ小さな変更がありますが、明らかなのは「開通当時は亀井橋を渡らない」「三ツ瀬からストレートに愛宕に抜ける」ということです。
この地図は先の日本都市地図にとても良く似ていますが、同じ人文社から出た「九州市街地図集」であり、発刊は昭和36年10月10日です。約2年の時間が経っていますが、その内容は34年の地図とほとんど変わりません。
この地図でクイズの残りの解答をしておきましょう。
- 岩鼻
先に説明した場所にありますよね。 - 春日館通
現在の安賀多一丁目 - 保健所前
現在の三ツ瀬一丁目 - クイズにはないけど、北町、南町はそれぞれ中央通一丁目、二丁目となりました。
- 地図が切れているけど、「本部前」はその後「支社前」となり最近では「向陽倶楽部前」、また「中島通」は「出北一丁目」相当になるのでしょうか??