三丁目の夕日と延岡

2026年5月18日

テレビ放映が正式に延岡の「来た」のは昭和36年4月1日と書きました。このころ延岡にどれくらいのテレビがあったのか。それを確認するのは困難ですが、まあ一般家庭にはまだまだ届いていないでしょう。当然我が家にもなかった。

このころどうやって私たちの親世代は「皇太子ご成婚パレード」を見たのか?・・・と考えますと、一つの有力なメディアが浮かんでまいります。映画です。ラジオや新聞で知ったこの世紀の慶事ですが、映画のニュースで動画を見ていた可能性は極めて高い。昭和30年代といえば映画の全盛期です。妄想老人の調べた範囲で昭和40年ころ延岡には映画館が13館ありました。このころの日本人は年に何回かは映画を見に行っていたのではないでしょうか?

これらの映画館では2本立て〜3本立てが当たり前だったのですが、この映画と映画の幕間に数本の「映画ニュース」が流れていたことを多くの老人たちは覚えていることでしょう。

紹介するこの動画はニュース映画そのものではありませんが、ニュースの素材をつなぎ合わせて昭和34年を彩る連作となっています。音声説明がまったくないため、なにが描かれているのかわからないニュースもありますが、眺めているとこんな無声動画のほうが昭和34年を伝えるのには良いのかもしれないと思いまして引用させてもらいました。


昭和30年代前半を伝える映画として大ヒットしたのが「Always 三丁目の夕日」でした。2005年のこの映画を見た方は多いのではないかと思います。私も3回以上見ました。この記事を書くために本当に久しぶりに昨夜「Always 三丁目の夕日」を再見しました。監督は最近のゴジラで有名な山崎貴です。懐かしかった。昭和30年台の情景が色褪せない映画でした。見ていて自分のHP「あなたが忘れかけた延岡」そのものではないか!・・・とも思いました。

オープニングで一平君がゴム飛行機を飛ばします。皆で追いかける模型飛行機の背景に映る当時の東京の姿がなんとも懐かしい。基礎しか出来あがっていない東京タワーの横を都電が走っている動画は「当時の発展途上の大都会そのもの」ですが、もちろん延岡の私はそんなことは知る由もない。その一平くんが母である薬師丸ひろ子にいう最初のセリフが「今日はテレビ来る?」でした。

この映画は昭和33年の東京が舞台と設定されています。集団就職列車で青森から東京にやってきたロクちゃん(六子:堀北真希)が、鈴木モーターで働き始めるところから始まります。ロクちゃを迎えに来た社長の堤真一が乗ってきた三輪がダイハツ・ミゼットでこれは延岡でも子供の頃よく見ました。夏には氷屋のピエール滝が氷冷・冷蔵庫に納める巨大な氷塊を配達に来ます。

テレビがやってきた日の夜の場面で、この映画は最高の盛り上がりを見せます。力道山が(おそらく)デストロイヤーと空手チョップで戦っている場面を、鈴木モータの居間に集まった街中の人が固唾をのんで見守る場面です。


さて、延岡の昭和33年はまだテレビがありません。宮崎にもありません。映画の時代からは三年間のタイムラグを経て、昭和36年4月1日に正式な放映が延岡でも始まります。延岡でもおそらくものすごい勢いでテレビ購入が広がっていったものと思います。延岡にテレビがやってきた時期と市内バス路線が充実してきた時期が重なります。ここからしばらく映画とテレビは共存しますが、昭和40年以降徐々に映画の勢いがなくなっていくのでしょう。そんな時代だったようです。妄想老人に実感がともなっているかというと、それは嘘になります。それでもなんだか雰囲気は覚えている。