大貫貝塚が内陸にある理由
2026月7月7日
6000年前の延岡の地形図です。現在の中心街はすべて海の底です。現在の大河川が集まる河口は巨大な延岡湾でした。
北から無鹿岬、稲葉崎岬、岡富半島(山月・山下岬)、南方平野に大貫干潟、何と言っても目立つのが愛宕半島と沖田渓谷の存在です。(命名は勝手に私がつけたものです。ここだけの用語です)
6000年前は地球温暖化で海面が現在より3〜5mくらい上昇していたため、現在の延岡の大部分を占める平野部は海の中に沈んでいました。当時は「縄文時代初期」であり、この海面上昇のことを「縄文海進」と表現するのだそうです。
実は先日ある方より内藤記念博物館のスナップショットを送っていただき、この言葉のことを知り、大変驚いた次第です。

その写真には「氷期の終わりと縄文海進」という表題がついており、ここに延岡の有名な貝塚が4カ所記してあったのですが、それがいずれも当時の海岸線にあったというわけです。この海岸線が現在のものとはずいぶん違っており、今の海岸線からするとかなりの内陸なんです。
もしこの時代に延岡湾が現在より大きく内陸へ入り込んでいたなら、大貫周辺は、海でも陸でもない、潮の満ち引きに支配される浅い水辺だったかもしれない。愛宕山の麓の3箇所の貝塚も当時は海べりということになります。というわけで納得の写真であり地図ということになりますが、いや驚きましたね!こんなに奥まで海水が入っていたんだ。
ちなみに上記地図は国土地理院のGSI Mapsという等高線地図作成サービスを利用して妄想老人が作ったものです。クリックすると6000年前の延岡に飛べますよ!
(この図は実測復元図ではなく、現在の地形に+5mの水面を重ねた仮想図ということになります。ご注意くださいね。)

貝塚は標高でいうと10m以上の緩斜面に作られました。高さがあったので、大洪水を生き延びて現代につながるわけです。
ところで「貝塚」なんですが、古代人が海産物を食料としており、食べ残した貝殻をきちんと(撒き散らさずに)一箇所にまとめて処理していたことの「意味」を考えると面白いです。
ここでクイズです。
1)貝を食べたあと、普通の古代人は撒き散らしていた。一部の丁寧な部族が塚に収めていたものが現代に残った「貝塚」
2)日本人だけはきちんと捨てていた。几帳面さ、「いただきます」精神の反映であり、古代日本人なら皆やっていた。
3)貝塚は全人類の習俗であった。日本人に限らず、アフリカ南部でも、ヨーロッパでも、貝を食べたあとは、きちんと貝塚に「葬る」のがここ10万年の歴史であった。
どれが正しいと思いますか・・・?(答えはいずれ紹介します)
さてさて古代人は大貫や古城あたりから舟を出して漁をしていたのでしょうか?漁に出かける延岡古代人を想像すると楽しいですね。干潟の沖合には後の城山がポツンと浮かんでいます。この島には「灯台」が欲しいね。
愛宕半島は根本が怪しくて、実は島だった可能性もありますね。愛宕島・・・かな。

貝塚が奥地にあることが延岡だけではないという例を東京湾で調べてみました。縄文海進のころ、東京湾はいまよりずっと奥深く埼玉県の春日部市あたりまで伸びていました。これを奥東京湾と呼びます。国土地理院の地図が右下。ここで黄色い場所に相当する場所には、現在も数多くの貝塚が残っています。東京湾でも貝塚がある場所は海岸線だったんです。

祝子川の河口付近です。私のペンネーム「康芝園」「上堰堤」のあたりで急に川幅が広がり河口となります。稲葉崎ー樫山が岬となります。(稲葉崎岬は冗長でしたね。崎は岬そのもの。「稲の葉っぱの形をした岬」といえばぴったり。)

最後に山月岬と山下岬ですが、富美山の一部に海が陥入しています。山月と山下が海と面しているわけです。ここに波が打ち寄せていた時代があると思うと、不思議な感じがします。
まあこれは地形図からの仮説的な読みであり、考古学的・地質学的な裏づけを専門家がしてくれたらありがたいです。
ところでこの海岸線のカーブに皆様なにか気がつくことはありませんか?
少し驚きなのですが、これは「どんどん川」の流れにほぼ一致する。後のクリークの行路は自然が作った海と陸地の境目だったとすれば面白い。(「中川原は島だった」というページがありましたが、島どころではなかったかもしれないわけね!)

以上の作画は、あくまで現在の地形図を元に海面を5m上昇させた人工的な地図であることにはご留意ください。
ただ、妄想老人としては、大きくハズしてはいないと思いたいです。
それにしても印象的な地図でした。
最後の最後に重ねて重ねて付言を:
本サイトの地形・歴史復元について
本サイトでは、地形図、標高データ、古地図、考古資料、郷土史資料、既存研究などをもとに、延岡の過去の景観を推定しています。ただし、ここで示す海岸線、干潟、河口、古環境の復元は、学術的に確定した定説ではなく、現時点で入手可能な資料に基づく仮説的な見取り図です。
とくに縄文海進期の海面高度、河川堆積、湿地化の過程は、地域ごとの地殻変動、土砂供給、地盤沈下、後世の造成・治水工事によって大きく変わります。本サイトの図や文章は、専門的な調査成果を代替するものではなく、延岡の土地の記憶を考えるための「試案」としてご覧ください。誤りや追加資料があれば、随時修正します。