戦前の延岡航空写真
2026年7月21日
戦前の延岡を、空から眺めてみたい。妄想老人は、こまで何度もそう思ってきました。
古い時代の延岡を知るのに写真ほど優れたものはありません。工場の写真や街中の写真は、そこに暮らしてきた人々の表情や、当時の空気を伝えてくれます。しかし街全体の概観となると航空写真の情報量にはかないません。国土地理院には、日本各地の航空写真を閲覧できる大きなアーカイブがあります。延岡の写真もかなりの数が登録されており、妄想老人もこれまで大いに利用させてもらってきました。
ただし最も古い写真は1947年(昭和22年1月24日)のものです。
戦前の延岡の航空写真は、本当に残っていないのだろうか?長い間探してきましたが、見つけることはできませんでした。
ところが、この3連休の間、ふとしたことから今まで探したことがなかった場所を探ることに思いが及びました。
米国の公文書館です。太平洋戦争中、米軍は日本各地を撮影し、爆撃目標を選び、攻撃の結果を検証するために、膨大な写真と文書を残しています。その中に、延岡の写真もあるのではないか。
そう思い調べ始めました。
英語の資料名や複雑な分類、思うようには目的の資料にたどりつけないもどかしさ。何度も遠回りして、「やはり無理か」と思いかけてました。
しかし、最後の最後で、見つけました。
撮影日は1945年5月28日。延岡上空からの写真をご覧に入れます。
これは当時の写真にしては質が良く解像度も優れているので、加工しなくてもよいと思われます。

Records of the U.S. Strategic Bombing Survey ; Entry 59, Security-Classified Damage Assessment Reports, 1945
この写真の持つ意味は、実は撮影日にあります。昭和20年5月28日。撮影したのは米軍です。
6月29日の延岡大空襲まで、あと一か月ほどしかありません。
写真の中に見える街並みの多くは、まだ戦火を受けていません。
人々は家で暮らし、工場で働き、子どもたちは学校へ通い、商店には客が行き来していました。
これは、昭和戦前期の延岡が最も発展した時代の姿であると同時に、その姿が失われる直前の記録でもあるのです。
そのことを知って眺めると、密集した家々の一軒一軒が、単なる小さな点には見えなくなってきます。
この写真が、なぜ米国に残されていたのか。
米軍は延岡をどのように見ていたのか。
そして、延岡の街は、なぜ空襲の対象になったのか。
写真を手に入れるまでの経緯と、その背景にある米軍の記録については、これから少しずつご紹介していきます。
いや、どうしてもAIで高解像度にしてほしいと思われる方もいそうなので、(仕方なく・・・??)下に、掲載します。

なかなか凄い迫力のある写真になりました。