延岡大空襲_川中地区

2026年9月2日

一見昭和40〜50年頃の延岡中心地のように錯覚してしまいますが、これは昭和20年5月28日に撮影された戦前最後の延岡市の発展を記す写真となります。すでに亀井橋、大瀬橋がなく、須﨑橋も一部脱落しています。大きな建物としては国民学校(延岡小学校)延岡高等女学校(今の岡富中学校)が目立ちます。

言葉を失いますが、これが昭和20年7月2日の延岡です。灰燼に帰しています。祇園町、川中地区、恒富安賀多地区の被災が一目瞭然です。

大空襲前の北町、仲町、南町界隈です。被災後の写真と比べるなら、市役所、裁判所、図書館、警察署、国民学校に注目してください。あと三福寺や妙専寺を探してください。

わずかに焼け残っている建屋もいくつかありますが、そう見えるだけかもしれません。地上はもっと悲惨だったはずです。

延岡高等女学校とその寄宿舎は被災してます。官庁街でいうと図書館と裁判所が残っているように見えます。その間にあった市役所は全焼したようです。内藤氏関連では市史によると空襲が始まるとまず「内藤記念館」が焼け落ちたと記述がありますが、その内藤記念館がどこにあったのか不明です。城山以南では桜小路と大瀬川の間に焼失区域があるようです。

東側上空からの俯瞰図です。三福寺や裁判所、図書館は残っているように見えます。安賀多橋北詰の商工会議所が残っているように見えます。当時を覚えている人がいれば(もう無理かな)この写真で被災の実態を確認してほしいものです。